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姉川の戦い

姉川の戦い
1570年03月:姉川の戦い (あねがわのたたかい)

近江国姉川の流域で行われた織田,徳川連合軍と浅井,朝倉連合軍との戦い

織田・徳川連合軍 VS 浅井・朝倉連合軍

姉川の戦いの背景

織田信長は足利義昭を擁して上洛を果たした後、越前の朝倉義景に臣従を迫り上洛を要請する。義景がこれを拒否したため、信長は徳川家康と共に越前へ侵攻するが、同盟者である浅井長政が信長を裏切り、朝倉軍の援軍として参戦したことにより窮地に追い込まれ退却した。
美濃に戻った信長は、改めて浅井との同盟を破棄し長政を討つべく近江に向けて家康と共に兵を進めるのであった。
これに対し、朝倉も浅井の同盟軍として参戦をして両軍は姉川を挟んで激突をした。

姉川の戦いの結果

織田・徳川連合軍の勝利

姉川の戦いの経緯・詳細

元亀1 (1570) 年6月 28日,近江国姉川の流域で行われた織田信長,徳川家康連合軍と浅井長政,朝倉義景の族将同景健連合軍との戦い。これより先,信長は足利義昭を将軍職に推して上洛したが,越前朝倉氏と近江浅井氏はともに畿内における信長勢力の伸張をはばもうとし,しばしば信長と戦った。元亀1年4月,信長は朝倉氏追討の軍を起したが,浅井氏は,朝倉氏に呼応したので,信長は家康に援軍を依頼してこれに対した。初め浅井,朝倉連合軍が優勢であったが,徳川軍の奮戦により,結局織田,徳川連合軍の勝利に終った。織田,徳川軍の兵力は,2万 9000人,浅井,朝倉連合軍のそれは1万 8000人という。この勝利によって,織田信長の畿内における覇権がほぼ決定した。浅井,朝倉両氏はこの敗戦により,次第に勢力を失い,やがて信長によって滅ぼされた。

全体兵力

勝利
織田・徳川連合軍
13000~40000人
敗北
浅井・朝倉連合軍
13000~30000人

参加大名家

織田軍
徳川軍
浅井軍
朝倉軍

参加武将

織田家
織田信長
織田信長
柴田勝家
柴田勝家
豊臣秀吉
豊臣秀吉
池田恒興
池田恒興
森可成
森可成
佐久間信盛
佐久間信盛
丹羽長秀
丹羽長秀
稲葉良通
氏家卜全
安藤守就
徳川家
徳川家康
徳川家康
酒井忠次
酒井忠次
石川数正
石川数正
榊原康政
榊原康政
本多忠勝
本多忠勝
浅井家
浅井長政
浅井長政
磯野員昌
磯野員昌
遠藤直経
遠藤直経
朝倉家
朝倉景健
真柄直隆