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おね ( - 1624 )

おね

本名は高台院。「おね」は諱であり諸説があり「おね」「ねね」「ねい」などがある。
尾張国に生まれ、織田信長の家臣である木下藤吉郎(豊臣秀吉)と結婚をする。当時では珍しい恋愛結婚であったが2人の間には子は産まれなかった。加藤清正や福島正則など親類縁者を家臣や養子として養育した。
秀吉が天下人になると、その妻として朝廷との交渉など引き受け秀吉が関白になることには「北政所」の称号を受けた。
秀吉の死後は淀殿と連携して秀頼の後見にあたり、石田三成と武断派七将・徳川家康らの仲裁に入るが、その後支持をしたのが家康側か三成側なのかは諸説がある。いずれにしても、重要な立場として動いていた事は事実である。
関ヶ原の戦い後は京都に住みながら秀吉の供養に専念する。大阪の陣により豊臣家は滅びてしまうが、その後も家康との関係は良好だったという。1624年に死去。

おねの詳細情報

  
  • 氏名:おね
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