柴田勝家 ( 1522 - 1583 )

尾張に生まれ、織田信秀に使えその後の織田家の家督争いでは信行について、信長と敵対するが信長か家督を継いでからはこれに従い、京への上洛や畿内の平定には大いに活躍し、重用された。
姉川の戦いや比叡山の焼き討ち、長篠の戦いなどに参加し1576年には北陸方面軍司令官に任命され、加賀の一向一揆や上杉謙信と戦うが、本能寺の変で信長が明智光秀に殺害されたことで事態は一変。清州会議では山崎の戦いで光秀を討った羽柴秀吉の発言力により織田家の後継者は三法師となり、その後は秀吉と権力争いを行うも賤ヶ岳の戦いで破れ北ノ庄城にて妻のお市と共に自害した。
柴田勝家の詳細情報
- 氏名:柴田勝家
- かな:しばたかついえ
- 死地:越前
- 死因:秀吉との権力争いに破れ賤ヶ岳の戦いで敗戦し自害