センゴク!!! 戦国時代のDBサイト

大友宗麟 ( 1530 - 1587 )

大友宗麟

1530年、大友義鑑の嫡男として豊後国に生まれる。宗麟は法号で名は義鎮。
家督相続後は長きに渡った大内家との争いに終止符を打ち、北九州で勢力を伸ばし周防・長門方面にも影響を強めることに成功する。
その後、義鎮は大内氏を滅ぼして中国地方で勢力を伸ばす毛利家と争いながらも九州の勢力は維持し続け、キリシタン大名として火薬や鉄砲を確保し、足利将軍家とも強いパイプを作り九州探題に命じられ1560年頃には九州に最大版図を築き上げ最大版図を築き上げ、大友家全盛となる。
その後も肥後の龍造寺家や毛利家と争いを続けるが、隠居後の1577頃には島津家が北上を開始し、耳川の戦いで大敗を喫する。
以降は島津家や龍造寺家に領土を侵食され、衰退の一途をたどる。義鎮は状況の打破を目論み、機内に絶大な勢力を伸ばしていた織田信長と接近し島津家や毛利家との和睦を狙うがそれも本能寺の変の発生により立ち消えとなる。
島津家と進行は止まらず滅亡寸前まで追いやられれいく中、信長に変わり政権を掌握していた豊臣秀吉に傘下に入る前提で10万の援軍を受け形成は逆転するが、島津家が豊臣家に降伏する寸前の1587年に58歳で病没した。

大友宗麟の詳細情報

  
  • 氏名:大友宗麟
  • かな:おおともそうりん
このエントリーをはてなブックマークに追加

大友宗麟が所属した家

大友宗麟が関連する戦

大友宗麟が登場した演じた俳優・ドラマ

トップへ戻る