前田利家 ( 1539 - 1599 )

尾張の荒子城主前田利春の四男として生まれ、14歳のころは織田信長に小姓として仕える。後に織田家の赤母衣衆として活躍し「槍の又左」の異名を持ち、柴田勝家の与力となり北陸方面で各地で戦に参加した。
信長が本能寺の変で横死すると、はじめは柴田勝家に付くが後に羽柴秀吉に従い以降は豊臣政権の中心人物として活躍し、加賀百万石の礎を築いた。
豊臣政権の五大老として、秀吉死後の武断派と文治派の仲裁や豊臣秀頼の後見人を務めるが、利家も秀吉の死の8ヶ月後に死去する。
利家の死により、次の天下人を狙う家康を牽制するものがいなくなり、関ヶ原の戦いが勃発することになる。
前田利家の詳細情報
- 氏名:前田利家
- かな:まえだとしいえ