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上杉景勝 ( 1556 - 1623 )

上杉景勝

1556年、上田長尾家当主の長尾政景の次男として生まれる。
兄が早い時期に死去し、父政景も死亡したため叔父である上杉謙信の養子となる。謙信が死去すると、北条家から謙信が養子に迎えた上杉景虎と景勝の間に家督争いが起きる(御館の乱)。この争いの勝ち景勝は名実ともに上杉家の当主となった。
その後は勢力を伸ばす織田信長に責められ窮地に陥るが、程なくして本能寺の変が勃発。上杉家は勢力を維持したまま、賤ヶ岳の戦いや小牧・長久手の戦いでは秀吉につき、佐々成政等と争った。その後も豊臣政権に従い、朝鮮出兵等にも従軍し秀吉死去の直前には景勝は五大老の一人に任命される。
秀吉の死後には家臣の直江兼続と石田三成の関係等から、徳川家康と対立。家康は上杉領内諸城の補修等の申し開きを求めて景勝に上洛を求めるが、兼続の挑発的な煽りもあり、家康は会津征伐を決意。これが関ヶ原の戦いの引き金となるが、結果的に家康の東軍が勝利したため結局は家康に降伏する形となった。その後は兼続と共に上洛し家康に謝罪したことで上杉家の存続は認められた。出羽国米沢30万石に減封されその後は米沢藩の政策に尽力した。1623年に米沢城で死去。

上杉景勝の詳細情報

  
  • 氏名:上杉景勝
  • かな:うえすぎかげかつ
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上杉景勝が所属した家

上杉景勝が関連する戦

1614年11月 大坂の冬の陣
関ヶ原の戦いに勝利し、日本の実権を握った徳川家康による、豊臣家取り潰しの目的で行われた戦い。
1615年05月 大坂の夏の陣
徳川家康による豊臣家を滅ぼすために戦い。徳川家の策略により大阪城の堀を埋めた上で繰り広げられた。

上杉景勝が登場した演じた俳優・ドラマ

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